最高裁判所第一小法廷 昭和38年(オ)1117号 判決 1967年12月12日
主文
原判決を破棄し、本件を仙台高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人丁野暁春、同小川保男の上告理由第一、二点について。
原判決(その引用する第一審判決の理由をも含む以下同じ。)の認定したところによれば、本件選定者らは赤石川流域の住民であるが、本件ダム建設の計画が発表されると、その住民の有志は赤石川対策委員会を結成して反対運動を展開し、約三年間の長い間、被上告会社や青森県庁などの関係方面と接渉を重ねたところ、ようやく昭和二八年一二月一二日被上告会社と赤石川対策委員会代表者との間に協定書(甲第一号証)と題する書面が作成され、次いで昭和二九年一月九日被上告会社と赤石村村長兼平清衛との間に契約書(甲第一三号証)と題する書面が作成され、そして、右の協定書作成に当り、赤石川対策委員会が提出した漁業および流木の補償についての要望事項に対して、右書面上、「東北電力株式会社は……次のとおり措置するものとする。……漁業被害については、実害があれば補償する。流木被害については、実害があれば補償する。」旨の記載があり、また右の契約書と題する書面には漁業並びに流木の実害につき、被上告会社において「関係者と協議して適正な補償をする」旨の記載があるというのである。しかるに、原判決は、この点について次のように判断している。すなわち、本件ダムの建設に対する反対の主たる理由は、赤石川流域変更によつて水量が減少し、潅漑用水の不足を来たすということであり、右協定書の作成に当つては、潅漑用水の件が中心として議論されたにすぎなく、したがつて、右協定書における漁業および流木の補償に関する記載は、いずれも具体性を欠くものであつて、単に被上告会社のとるべき基本方針を指したものに過ぎないし、このことは右協定に基づいて作成された契約書についても同様であり、結局、被上告会社はこれらの書面の作成にも拘らず、何等契約上の責を負わない旨の判断をしているものである。
思うに、本件のごときダム建設に当つてはとかくいわゆる「ごね得」がありがちであるから、徒らにその建設に反対した地元住民に「ごね得」を得させるべきでないことは勿論であるが、原判決が判示するところによれば、そもそも、本件ダムの建設の計画の反対運動は、赤石川の水量が激減し、潅漑用水が不足し、漁族の枯渇、木材流送の至難等を招いて祖先伝来の生業を奪われるために生じ、しかもその紛争が三年間にわたり、その間これに伴つて刑事事件すら派生したのであつたが、結局、県当局のあつせんにより、従来の紛争をすべて円満に解決する目的をもつて前記協定書と題する書面が作成されたというのである。そして、この協定書は青森県庁において、赤石川対策委員会よりは代表者が多数、被上告会社よりは常務取締役平井弥之助、補償係長竹下堅吉ら、県よりは知事津島文治、副知事横山武夫、土木部長佐藤信一、漁政課長江基二郎らがそれぞれ出席の上作成されたものであり、その直後の同月一四日青森県知事は被上告会社に対しダム工事実施認可を与えたというのである。また、右契約書は、翌二九年一月九日被上告会社の取締役社長内ケ崎贇五郎と赤石村村長兼平清衛が署名押印の上作成されたものであり、その作成後同村長は赤石村村民にその契約成立を知らせたというのである。そして、このような経緯に鑑みるときは、右協定書および契約書は多年の紛争をすべて解決するため被上告会社の行うべきことを特に書面に認めてこれを明らかにしたものであると考えられ、従つて右漁業および流木の補償に関する記載は、特別の事情の存しない限り、当事者に対して何等法的拘束力がないものとは解されないのである。そして、右契約書についてもこれと同様のことをいい得るのである。
しかるに、原審はかかる特別の事情の存することについては十分に判示することがないのに拘らず、前記書面が全く法的拘束力を欠くものと判示したことは、審理不尽という外はない。従つて、この点に関する上告は理由があるものというべきである。
しからば、右協定および契約が何等の法的拘束力を生じないというような特別の事情があつたか否か、もしその拘束力があるとしたならば、それが何故本件選定者に効力を及ぼすのか(右協定は赤石川対策委員会が、右契約は赤石村村長兼平清衛がそれぞれ本件選定者らの代理人として締結した旨上告人らは原審において新たに主張しているが、原審はこの点について判断していない)などの諸点について審理を尽くさせる必要があるから、その余の論旨に対する判断を省略し、原判決を破棄して、本件を仙台高等裁判所に差し戻すこととし、民訴法四〇七条一項により、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松田二郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 岩田 誠 裁判官 大隅健一郎)